第1章 はじめに
第1節 Joy Projectの基本的姿勢
Joy Projectは1995年3月1日にジョイスティックコントロールカーの日本での普及を大きな目標に八王子で発足した。なぜジョイスティックコントロールカーを日本で普及させる必要があるのか。その理由は八王子の当事者運動をさかのぼることによって自然と見えてくる。
八王子の当事者運動は盛んである。1973年に障害の有無に関わらず若い仲間が友達としてつきあうサークル「ユメトピア」が結成され、街づくり運動に取り組み始めた。発展的に、拠点となるたまり場として1978年に「若駒の家」開設。翌年には、「第一若駒の家」と「第二若駒の家」に分離独立した。1981年になるとケア付き住宅「八王子自立ホーム」が完成、1986年には有料介助派遣システムを中心とする自立生活センター「ヒューマンケア協会」が発足した。その後、通所授産施設の「木馬工房」、自立生活体験や緊急一時避難等の利用ができる家「スペースらせり」開設、生活に必要な情報を発信する「わかこま自立生活情報室」開設、と活動の展開は多岐多様にわたってきた。
これらの活動を展開することによって、地域で暮らし始める障害者が増えてきた。八王子でも約20年前は車椅子に乗っているというだけで一般人とは違う特別な存在であるかのように奇異の目で見られていた。そういった意識は残念ながら現在でも根強く残っているが当事者たちが街へでて自分たちの考えを伝えることによって徐々にではあるが確実に少なくなってきている。
20年以上の歴史の中には、時に数に任せた行動や交渉もおこなった。しかしそれで大きく変わることはむしろ少なかった。
「一時的な運動よりも日常生活の中で当たり前に街にでかけたりする方が社会に対して効果的」なことがわかってきた。そして、「当事者自身が生活の中で必要なことや不便なことを人に伝えていくことの重要さ」を認識していった。
しかし、重度障害者に対する理解はまだ少ない。障害が重度になればなるほど社会参加の障壁は大きくなる。故に重度障害者の社会参加は少なく健常者との日常的交わりは少ない。お互いに理解が得られず悪循環になっているのが現実である。
「日常的な人間関係」を形成する場がないが故の無理解はどこかで断ち切らねばならない。八王子で当事者運動を展開する中で、「日常的な人間関係」の重要さがクローズアップされてきた。「日常的な人間関係」がないと互いに理解が得られず特別な存在になってしまうのである。
一般に人間の意識や道具などは、より重い障害を念頭に置いて基準をあわせておけば、それよりも軽い障害にはスムースに適応できることが多い。重い障害を持つ人が社会参加をして「日常的人間関係」を築き、一般の人々の意識や社会環境の中に根強く残っている障害者は特別な存在という意識を変えていくことができれば、それより軽い障害を持つ人が「日常的人間関係」を築くことは容易になる。そして重度の障害者が暮らせる社会環境が整えば高齢者にも生活しやすい環境となり、老人ホームなどに押し込める必要も無くなる。来るべき超高齢化社会を迎えても対応が可能となる。
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